愛の三角形
こんにちわ
ご訪問ありがとうございます
今日は、バクティヨガについて、また書いていこうと思います。
バクティヨガでは、真の愛の特徴について、愛の三角形という表現で説明しています。
この格が調和して初めて本当の愛だというのです。
▲愛は取引しない
▲愛は恐れない
▲愛は比べない
バクティヨガは愛と信仰についての智恵ですが、
愛は取引しない
昔々のインドでの話です。
森に高名な賢者が住んでいました。
インドでは、賢者をもてなし、知恵を授かることはとても徳の高い行為だと尊まれています。
ある王が、森で賢者に出会い、宮殿に来て知恵を授かりたいと申し出ます。
賢者は宮殿に行きました。
王は豪華な食事や踊りでもてなそうとしました。
その王が、宴の前に神に祈りました。
今以上の
自分の繁栄と、地位や名誉を。
それを聞いた賢者は、一口の酒も飲まずに立ち去りました。
王は、困って尋ねました。なぜもてなしを受けることなく森に帰るのか。
賢者は言います。
私は乞食から何一つ恵んでもらう気は無い
王は、富や栄光を神に乞うたのです。
信仰において、自分の持っているものを放棄するという行為は、とても尊いものですが、そこに見返りを求めたら、それはもう、物乞いであると同じ、真実の信仰(愛)とは言えないということです。
現代の愛の問題において、本当に、見返りを求めない無償の愛というのは、親子間の愛情で、かろうじて存在するくらいでしょうか。それさえも、存在しない、親子の関係というものもたくさんあります。
私たちは、経験において、その存在を学んでいきます。
真実の愛を、どのくらいの人が知っているでしょうか。
見返りを求められた経験ばかりすると、見返りのないものを信じられないでしょうし、見返りのない行為をすることさえ否定してしまうと思います。
でも、この無償の愛は、すべての人が本来持っている愛です。
本来持っているけれど、悲しい経験と共に忘れてしまうのです。
赤ちゃんの時、見返りを求めて、笑ったでしょうか。
自分の将来を不安に思い嘆き泣いたのでしょうか。
赤ん坊の時のまっさらな魂の中では、真実の愛を知っています。
自分の将来について無心です。
でも、無償の愛情を経験せずいたら、その存在を意識することは難しいかもしれません。
なので、実際のところ、無償の愛は、現代において、なくなりつつあるのではなく、忘れられ、見失われているだけ。
そんな世の中なので、、、
もし自分が誰かに親切にしてもらったら、もしかしたらそこに下心があるかもしれませんが、親切は親切として素直に感謝しましょう。
もし、大切な人がいて、その人が、本当に、心から愛情を追ってしてくれる行為に関しては、
それに対して、同等のお返しをする必要はありません。
それが本当の愛情だというのであれば、自然と何かしてあげたくなる、また別のところで、見返りを期待しない親切をすれば良いのです。
現代社会の人間関係において、愛というつながりでない場所で、ギブアンドテイクの関係は必要な場合もありだと思いますので、ある状況下では、親切への見返りは必要とするときもあるかもしれません。
国によって、文化によって、風習によって、状況によって、様々なイレギュラーなこともあると思いますので、一概に言えませんが、、、、
本当であれば、全ての人に対して、この見返りを求めない行動ができると、とても素晴らしいです。
この問題においては、基本的に、見返りを求めない愛の存在を理解した上で、経験や先人の知恵を学ぶことで、ケースバイケースの最適な判断は学べると覆います。
、、、というお話でした!
この話が分かりにくかったら、なんでも聞いてくださいね!
質問お待ちしてます!
では、後の2角についてはまた次回
最後までお読みいただきありがとうございました。
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